オタク文化で頻繁に使われる言葉「履修」。でも、「履修」の本当の意味や使い方を知っているオタクは意外と少ないのでは?
この記事では、オタクが愛する作品を理解するために欠かせない「履修」という言葉の意味から、使用例、オタクが抱く複雑な感情まで、徹底的に解説します。
あなたも「履修」の正しい使い方を身につけて、オタク仲間とのコミュニケーションを楽しんでみませんか?
- オタク文化で「履修」とは、作品に関する知識を網羅的に習得すること
- 「履修済み」は作品を隅々まで理解した状態を指すが、一部のオタクは「履修」という言葉を嫌う
- 「未履修」は作品をまだチェックしていない状態、「再履修」は作品を改めて楽しむこと
- 「履修」は強制ではなく、作品の楽しみ方は人それぞれであることが大切
オタク文化における「履修」の意味とは
「履修」というネット用語の意味
オタク文化において、「履修」とは作品に関する情報を網羅的に収集・理解することを指します。
本来、履修とは大学などで各学期に受講する授業科目を登録し、単位を取得するという意味の言葉です。しかし、オタク界隈ではある作品やシリーズの漫画、アニメ、ゲーム、小説など、あらゆるメディアミックス展開を隅々まで把握することを「履修」と呼んでいるのです。
例えば、人気マンガ作品が原作のアニメが放送されたとします。
原作マンガを読んでいるファンにとって、アニメを視聴することは作品世界を理解する上で重要な要素になります。さらに、作品の人気が高まればゲーム化や映画化、舞台化などの展開も予想されます。
こうした原作の二次創作を含むあらゆる媒体での展開を網羅的にチェックし、設定や用語、ストーリーを理解していくことがオタク的な「履修」という概念なのです。
オタクが「履修する」というときの例文
オタクが「履修する」という言葉を使うシーンをいくつか例文で見てみましょう。
- 「あのライトノベルがアニメ化されるから、原作も履修しておこう」
- 「ゲームのシナリオライターが書いた小説も履修済みだよ」
- 「あの作品、マンガは読んだけどアニメまだ未履修なんだよね」
- 「昔見たアニメの新作映画が公開されるから、再履修してから映画館に行くつもり」
こうした例文からわかる通り、オタクにとって「履修」とは自分の好きな作品への理解を深めるために欠かせないプロセスを指しています。
時間と手間のかかる行為ではありますが、作品を心から楽しむために、情報収集を惜しまない姿勢がオタクの「履修」という言葉に表れているのです。
「履修済み」の読み方
「履修済み」は「りしゅうずみ」と読みます。「履修」は「りしゅう」、「済み」は「ずみ」なので、合わせて「りしゅうずみ」となります。
「履修済み」は大学用語?
「履修済み」という言葉は、本来は大学の授業登録の文脈で使われていました。各学期に受講する授業科目を登録し、単位取得の条件を満たせば、その科目は「履修済み」となります。
しかし、近年ではこの言葉がオタク用語として転用され、新たな意味を持つようになりました。オタクの間では、「履修済み」とはある作品に関する情報を隅々まで収集し終えた状態を指すのです。
マンガ、アニメ、ゲーム、小説、グッズなど、作品に関するあらゆる展開を把握し、設定や用語を理解している状態を「履修済み」と表現します。
作品のファンとして知識レベルが一定以上に達したという自己アピールにもなるため、オタク同士のコミュニケーションの中で頻繁に使われるキーワードの一つとなっているのです。
「履修した」の意味をわかりやすく解説
オタク用語としての「履修した」は、ある作品に関する情報を徹底的に集め、内容を理解したことを意味します。具体的には以下のような行動を指します。
- 原作マンガを全巻読む
- アニメシリーズを全話視聴する
- ゲームをクリアし、隠し要素も見つける
- 関連書籍(設定資料集など)を読む
- 舞台やイベントに足を運ぶ
- グッズを収集する
こうした行動を通じて、作品世界の設定や人間関係、用語、舞台背景などを隅々まで把握することが、オタク的な意味での「履修」なのです。
ただし、「履修」はあくまで自発的な行為です。義務感からではなく、作品への愛と情熱から自然と収集した知識こそが、真のオタクの証と言えるでしょう。ある作品を「履修した」と言えるオタクは、単なる「ファン」ではなく「マニア」と呼ぶべき存在だと言えます。
オタクにとって「履修」をめぐる複雑な感情
なぜ一部のオタクは「履修」という言葉を嫌うのか
しかし、オタクの中には「履修」という言葉を嫌う人も少なくありません。その理由は主に以下の2点が考えられます。
- 学校の授業のようで義務感があり、楽しむべき趣味なのに勉強みたいで嫌だ
- 「履修」という言葉自体に他人からの強制や押し付けを感じる
元々は大学の授業用語だった「履修」という言葉を趣味に用いることで、本来楽しむべきコンテンツがあたかも義務のように感じられてしまうのです。
また、「履修した?」「履修しろよ」などと言われることで、自分のペースで好きに作品を楽しむ自由を奪われていると感じるオタクもいるようです。
作品の楽しみ方は十人十色です。「履修」という言葉の定義も人によって異なるため、安易に使うことは避けたほうが無難かもしれません。
「未履修」であることへのオタクの反応
人気作品の話題で盛り上がる中、「実は自分はその作品未履修なんだよね」というオタクの姿を見かけることがあります。「未履修」とは、ある作品をまだチェックしていない、情報収集が不十分な状態を指します。
「未履修」だと名乗り出ることは、立場によってはけっこうな勇気が必要なこともあります。作品のファン同士の会話の輪に入れず、肩身の狭い思いをすることもあるでしょう。
しかし、「未履修」であることを素直に言える空気感は、オタクコミュニティにとって実は大切です。「作品を知らなければオタクではない」というような排他的な雰囲気は、健全なファン文化の発展を妨げてしまいます。
「未履修でも全然オッケー」「私も昔は未履修だった」と言える懐の深さが、オタクの世界には求められていると言えるでしょう。
「再履修」の意味とオタクがよく使うシーン
「再履修」とは、一度履修した作品を、再度情報収集することを指します。以下のようなシーンでよく使われます。
- アニメの再放送が始まるタイミングで、1話から視聴する
- ゲームのリメイク版が発売されたため、もう一度プレイする
- 作品の完結(アニメの最終回、マンガの最終巻など)を迎えたため、復習のために通して作品に触れる
「久しぶりに再履修したけど、新しい発見があった」などと言うことも。時間が経ってから作品を改めて体験すると、新たな気づきや解釈が生まれることも多いものです。
再履修は自分にとって大切な作品への「愛」の表れとも言えます。何度でも作品を楽しみ、考察を深められるところが、オタクという生き方の醍醐味だと言えるでしょう。
オタクが「履修」という言葉に抱く違和感の正体
ただし、中にはどうしても「履修」という言葉に違和感を覚えるオタクもいます。その理由は、以下のような点が考えられます。
- 本来の意味である「大学の授業」をイメージさせ、義務感が伴う
- 自発的な趣味なのに、「勉強」みたいに聞こえる
- 「履修しろ」などと言われることで、他人から強制されている感覚になる
つまり、「履修」と聞くと、自分の好きなコンテンツがあたかも勉強や義務のように感じられてしまうのです。
もちろん、「履修」の本来の意味を知った上で自然に使っているオタクも多いでしょう。しかし、一部のオタクにとって「履修」という言葉は、趣味の自由を奪われるようなマイナスのイメージを持つのも事実なのです。
「履修」の言い換え方
「履修」という言葉を使いたくないというオタクのために、言い換え例をいくつか紹介しましょう。
- 「〇〇にハマって、全部チェックした」
- 「徹底的に情報収集した」
- 「設定を隅々まで理解した」
- 「全話/全巻制覇した」
また、「〇〇を愛する者として」「マニアとして」などの表現を添えるのも良いでしょう。「履修」という言葉を使わずとも、作品への情熱は十分伝わるはずです。
大切なのは、自分も相手も心地良いと感じられる表現を使うこと。言葉への感覚は人それぞれ違って当然であり、お互いを尊重し合える言葉選びが求められていると言えます。
アニメを見ていない状態を指す「アニメ未履修」
「アニメ未履修」とは、原作マンガがアニメ化された際に、そのアニメをまだ視聴していない状態を指します。
原作ファンの中には、アニメには手を出さずにマンガだけを追っている人もいます。キャラクターの声や作画、演出などが原作のイメージと異なる可能性もあり、「アニメを見ると作品のイメージが崩れそう」と敬遠するファンも少なくないようです。
ただし、昨今はマンガ作品の多くがアニメ化されており、原作ファンも無視できない重要なコンテンツになっています。アニメ視聴によって作品世界がより立体的に感じられたり、声優のキャスティングが新たな魅力を生んだりすることも多いものです。
「アニメ未履修」のまま作品について語ることを憚るオタクもいますが、見るか見ないかはあくまで個人の自由です。アニメを見ていなくても、原作愛に基づいたマンガファンとしての意見は十分に尊重されるべきでしょう。
「履修済み」をオタクが言い換えるなら
最後に、「履修済み」を言い換える表現例を紹介します。
- 「〇〇のことなら任せろ!」
- 「全メディアミックス制覇した」
- 「設定をすみずみまで理解してる」
- 「マニアを自負している」
「履修済み」という言葉には、「情報収集を終えた」というニュアンスがあります。しかし、オタクにとって大切な作品は、情報を仕入れて終わりではありません。何度も作品に触れ、感動を呼び起こすことこそが「愛」の証なのです。
そして、「履修済み」のその先には、考察を深め、解釈を広げ、二次創作に励む楽しみが待っています。単に「履修した」で終わるのではなく、作品と向き合い続ける姿勢を大切にしたいものですね。
まとめ
- オタク文化における「履修」の意味は、作品に関する知識を網羅的に習得すること
- 「履修済み」は「りしゅうずみ」と読み、大学の授業を修了した状態を指す言葉が転用された
- オタクが「あの作品は履修した」と言う場合、その作品を隅々まで把握したという意味
- 一部のオタクは、「履修」という言葉が強制的で不愉快なニュアンスを感じて嫌う
- 作品を見ていないオタクを指して「未履修」と言うことがある
- 気に入った作品を何度も「再履修」するオタクもいる
- 「履修」という言葉のニュアンスに違和感を覚えるオタクは少なくない
- 「履修済み」の言い換えとして「制覇」「コンプリート」などが使われる
- アニメを見ていない状態は「アニメ未履修」と表現される
- ライトなファンは「履修」という言葉を使わず、「見た」「視聴した」などと言い換えることも